ただワクワクを追い求めた私。CCIEトリプルホルダーの過去、現在と未来のキャリアデザイン。

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CCIEトリプルホルダー(R&S、Voice、storage)の高濱幸喜さん(45歳)は、憧れを憧れで終わらせない努力家かつ、兄貴肌タイプの人。

自分の心の声に素直になり、苦難を乗り越えながら、ただワクワクを追い求め歩んできた高濱さんに、どのように歩みながら向き合ってきたかを語って頂きました。よろしければ、高濱さんの個人ブログもお読み頂けますと幸いです。

 

目次

エンジニアの高みを目指したい!レイヤ1の世界からステップアップ。

 

私のキャリアは、内資の電工系企業からスタートして、最初の5年間は本社のITスタッフとして勤務をしていました。その後、100%出資の情報ネットワークシステムを構築する子会社に出向し、配線の設計・構築を行う部署に配属。その頃はCisco機器に関わる仕事には全く携わっていなく、物理層がメイン。20代は完全にレイヤ1の世界で精進していました。

でも、配線を生涯やり続けているエンジニアになりたいかと考えるとそうではないし、今の会社で5年後・10年後の自分の未来が何となく見える中で、その延長線上の未来に心がワクワクするか?を考えると、何かが物足りませんでした。1社目の電工系企業に大きな不満がある訳では無いし、配線が泥臭いから嫌だという訳でもありません。
新たな配線システムを設計し、配線を行う事に関しては高みを目指して経験を積んだ自信もあったし、やりがいもありました。当時は若かった事もあり、今思えば慢心かも知れないですが、例えば、都庁のLAN配線システムをやれ、と言われても、誰にも負けない最適な設計をやれる自信がありましたし、当時の出向した子会社が福岡営業所を立ち上げる時にも、技術部としての旗振りに貢献をし、成果を残してきたと自負していました。
それでも30歳前後のタイミングでは、「私はこのままでいいのか」という考えは常にありました。ゆえに、家族には「一生今の会社にいるか?はわからない」とだけ伝えていました。

私が所属する配線部隊の隣には、ルーターやスイッチなどを設計・設定するネットワーク部隊がおり、Config設定をしている様子を見て、「なんかレベル高そうな仕事だな」と思った事もあり、純粋に高いレイヤの仕事に興味と憧れが出てきました。自分の気持ちと対話を重ねていく中、「エンジニアとしてネットワークを極めていくなら、より高いレイヤも極めたい」と考え、まずは最初のステップとして、CiscoのCCNAとCCDAを取得しました。

それと同じぐらいのタイミングで、ネットワーク部隊に所属していた新卒入社の同期が、外資系ネットワークベンダーに転職し、雲の上のCCIEを取得し、活躍しているという話を聞きました。その同期から「ウチの会社(外資系ネットワークベンダー)で募集が出るけど、受けてみない?」という話がありました。かなり悩みましたが、自分が高みへと行けるチャンスを逃したくないと考え、中途採用に応募しました。中途採用選考に関しては、お世辞にも良い出来ではありませんでしたが、なぜか無事に内定を頂く事が出来ました。ひょっとしたら元同期が頑張ってくれたのかもしれません。本当に感謝です。(笑)そのタイミングでは、家族は妻と子供1人、あと妻のお腹の中に1人おりましたが、「このチャンスに乗らずに後悔はしたくない!」という思いから、家族に誠心誠意説明をし、家族の理解を得て転職を決行しました。こうして私のネットワークエンジニアとしてのキャリアがスタートしました。

 

トップエンジニアになりたい!私がCCIEに挑戦した理由。

ccie
若干後付けはあるかも知れませんが、転職をしたタイミングで自分の心を躍らせるような目標を立てようと思い、立てた10年後の目標が、(1)トップエンジニアと呼ばれる事(高濱さんに頼めば安心だと思ってもらえる状態)、(2)自社の社内イベント(名前は伏せます)でスピーカーとなる事、(3)ネットワーク関連の書籍(名前は伏せます)に監修者として自分の名前を載せる事でした。これを実現するには、CCIEを取る事が必要不可欠と考えました。

私の転職先での最初の役職は、クライアントとの友好な関係を築くリレーションシップマネージャというポジションでした。そこまで技術が要求される職種ではなかったのですが、私が望む仕事に携わるためにはCCIEまたはそれに匹敵するレベルになる必要があった事や、入社当時の上司にも「CCIEを取りなさい」との厳命を頂いた事、あわせて中途入社同期が複数人いる中で目立つ存在になりたいとも考えて、一番分かりやすいのは「同期入社の中で、私が1番にCCIEを取る事」とも考えた事もCCIE取得の背景としてあります。そこから新天地で業務に邁進しながら、並行してCCIEとの戦いがスタートしました。

CCIEとの戦いは、まさにプレッシャーとの戦いでした。社内の先輩方から「あれ?高濱ちゃんはまだCCIE取れていないの?(笑)」とか、「なんでまだCCIEの勉強してるの?(笑)」といった声を毎日のように浴びせかけられました。先輩方はそうやっていじってくるのですが、当時は必死すぎて全く笑えませんでした(苦笑)。
でも当時は、「CCIEを取らないと、立てた目標が達成できない。CCIEを取れなかったら、私に後はない、私は今いる会社で仕事が出来ない」と常に自分に言い聞かせていました。(勿論、会社から「CCIEを取らないと会社に居続けられないよ」、と言われた訳ではありません。今ある環境でトップエンジニアを目指すために、後戻り出来ない覚悟を持っていました)

 

トップエンジニアになるために。CCIEへの挑戦とプロセス。

 

改めて、2002年の6月に現職の外資系ベンダーに転職し、このタイミングで私は32歳。転職して3か月後の2002年9月にWrittenに合格。Written合格から3か月後の2002年12月に初めてLab試験を受けましたが、全く歯が立たないし、問題の意味さえも分かりません。自分が今まで勉強してきた事に関して、広さも深さも全く足りていない事を痛感させられました。ゆえに、1回目のLab試験は問題をとりあえず覚えて帰るのに精一杯でした。

あわせて、CCIEを取るためには勉強時間を作らないといけない。時間が無いと言うのは私からすると言い訳でしかありません。CCIE取得のために如何に勉強時間を確保するか、という所にも当然ながら気を使いました。当たり前だと思いますが、寝る時間を削り、朝早く会社に行って少しでも機械に触れ、昼食の時間を削って勉強の時間に充て、土日も集中モード。

そのタイミングでは2人目の子供が生まれ、4人家族となっていました。家族の長として、父親としての仕事もある訳で、完全に自由な時間が約束されている訳ではありません。そこで、妻と妻の実家に頭を下げ、妻と子供は妻の実家がある関西にしばらく帰ってもらいました(笑)。当時の私にとっては「CCIEを取る事」が第一優先事項でして、静かに集中できる環境がどうしても必要でした。少しでも機械に触る事に注力したかったのです。一方で、長引けば長引くほど家族と過ごす時間も減っていきます。家族への影響を最小限にするためにも、とにかく早くCCIEを取得する事ばかりを考えていました。

CCIEの試験期間中は、おそらく大学受験の時よりも勉強していましたね。今の努力で足りているのか、今の集中力で足りているのか、今の成長スピードで足りているのか、と自問自答しながら、ハイピッチで論理体系であったり、ネットワークのプロセスであったりを体に染み込ませていきました。当時の気持ちとしては、洗面器に水を張って、顔をずっとつけているような感覚です。私が感じる限りでは、CCIEは普通の精神状態で合格する試験ではありません。CCIEを取るためには、かなり集中したレベルの精神状態になる必要があります。この状態は、「CCIEモード」と呼ばれたりします。(笑)

この頃は明けても暮れても、頭の中はCCIEのLab練習。夢の中でもConfigの練習をするようになります。今思うと、このあたりから「CCIEモード」に近づいて行ったのだと思っています。CCIEの勉強時間は、だいたい平日は1日5時間捻出してCCIEの勉強に充て、土日は1日8時間以上勉強し、継続。試験前は更にピッチを上げました。とにかくひたすら繰り返し練習。頭や体は勿論、意識から精神状態まで全て「CCIEモード」。何とも言えないドヨーンとした雰囲気を醸し出します。

そして2回目のLab試験は2003年の2月頃でした。手ごたえを感じた所もあったのですが、それでもFail、、激痛です。CCIEの神様は、簡単には振り向いてくれません。これだけ勉強してもダメか。家族にも迷惑を掛けてしまって申し訳ない。多少なりとも手ごたえを感じた中でのFailはさすがに一瞬落ち込みました。ただその時は中途入社同期(入社月は、私より4か月ほど後)に、私が人生で出会った中で3本指に入る位のスーパー優秀エンジニアが転職してきまして、CCIE一番乗りの席を取られるかもしれない、という危機感に襲われました。当時は、負けは許されないし、逃げも許されないと思っていました。

そして転職して11ヶ月後の2003年の4月、ついにCCIE R&Sを取得。転職した時はCCNA/CCDAしか取得しておらず、CCIE writtenも合格していない中、なんとか一歩前に進めることができました。結果がPassとわかった時は、夜中ですが叫んでしまいました(笑)。とにかく解放感と家族や周りへの感謝。人生の中で最も喜んだ瞬間の一つでしたね。

CCIE R&Sを取得し、「これからは次のステップだ!」と考えていた時に上長からお呼びが掛かり、頂いた一言が

「高濱ちゃん、これから君には一生Voice野郎になってもらうから」

寝耳に水でした。当時の部署としては「Voiceが出来るエンジニアを増やしたかった」というのがあったのでしょう。Voiceの案件はあるけど、Voiceが出来るエンジニアが当時の部署にはいなかった事が背景にあったと思っています。人生はわからないものですね。

ただ、これは後付けになるかも知れませんが、Voiceエンジニアへの転身の話を頂いた後に、R&SのキャリアとVoiceのキャリアを考えました。R&Sは社内にもエキスパートが多数在籍しており、自分がレベルアップしたときには、エキスパートたちは更にレベルアップしています。つまり、努力だけでは追いつけない差があるのではないかと思いました。そう考えると、「R&SよりVoiceの方が、その領域で目立てるのでは?」、「先駆者になりたい!」という道筋が見えたのです。「Voice分野における先駆けエンジニア」というイメージに、心がワクワクしてしまったのでしょう。それから私はVoiceを生業として生きる事を決め、Voiceのトラブルシュート部隊での修業が始まりました。

 

足かけ4年でCCIEトリプルホルダーとなった背景。エンジニアとしての修業の日々。

 

トラブルシュート部隊に配属になり、その後新たにCCIE Voiceがローンチされました。Voiceは自分が生業とする所なのでCCIE Voiceはどうしても欲しかったですし、必要と考えていました。しかし、当時日本にはLab会場がないため、アメリカのサンノゼで受験しました。1回目は全然ダメ、2回目はPassしたかな?と思ったがそれでもFail。3回目でようやく合格でした。R&Sと同じような流れでしたが、これでCCIEダブルホルダー。本当はCCIEの資格は1個でも十分すごいのですが、やはりダブルホルダーというのは社内でもそこまで多いわけではなかったのでうれしかったです。ダブルホルダーになって思った事が「トリプルホルダーの称号を手にしたい!」という純粋な欲望(笑)。3つ目のCCIEにチャレンジを決めました。そこで選んだ次のトラックがストレージ。

CCIEストレージも日本で受験が出来なかったので、アメリカのノースカロライナで受験。ストレージは、扱われているデバイスのOSのバージョンが高くなかった所もあるのかも知れませんが、2回目で合格する事が出来ました。CCIE合格までに必要な努力の質と量が多少分かっていて、そして必要となる精神状態のレベルとその精神状態になるためのプロセスが体に染み込んでいたのかも知れません。こうして私は足かけ4年でCCIEトリプルホルダーになりました。

ネットワークエンジニアの方々の中には、「CCIEなんて取れっこない」と考える人もおりますが、私は「CCIEは取れない」という考えは持ちませんでした。持っていたのは「CCIEを取るしかない」という思いでした。

 

エンジニアとして揺るぎ無い確固たるものが築けた!CCIEを取得して気づいた事。

 

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私はCCIEに関して、一生懸命勉強して落ちて、一生懸命勉強して落ちて、やっとPassというステップを踏んできました。ネットワークのアソシエイトから見ると、CCIEはスペシャルな資格であり、CCIEホルダーは雲の上の存在に見えるかも知れません(私もそう思っていましたからね)。そして「CCIE持っているなら、ネットワークの事は何でも知っているよね?」という見られ方になります。でもCCIEを取得しても、ネットワークの全てが解る訳ではありません。それだけにプレッシャーは相当なものになります。勿論、CCIEを取得しているという事は、高い技術力を有している事の証明になるのですが、私はそれよりも勉強や我慢を継続出来、困難に立ち向かい、最後までやり切れる人の証明になると考えています。

私は、ネットワークエンジニアという道を歩んでいくのであれば、自分の仕事に対して揺るぎ無いネットワークの基礎を築き上げる事が重要であると考えています。CCIEは、合格にいたるプロセスを通じて、ネットワークの知識を論理立てて体に染み込ませる事が出来る格好の教材だと思います。ネットワークエンジニアとしての揺るぎ無い土台を作れたのはCCIEの勉強のお陰だと思っています。私自身、お陰でお客さまにも自信を持って言い切れるようになる等の変化がありました。CCIEを勉強した事で得た事や学んだ事に嘘は無いし、曖昧さもありません。CCIEから得た事は、私の血となり肉となり、今でも活き続けています。

 

エンジニアからの卒業。次のステップを目指す理由と背景。

 

4年ほど前に、「エンジニアとしてこのままやり続けるべきなのか?」という葛藤がありました。キッカケは、当時ある案件で、「これ以上の設計はできない」と思える程の最高の設計書を作った事です。勿論、他のエンジニアが見たら「あれが足りない、これが足りない」という話になるかも知れないですが(笑)、当時の私の中では、やりきった、と思えてしまったのです。このように感じてしまうと、それから先のエンジニアとしての仕事がルーチンワークに感じ出したのです。悩んだ結果、次のステップへと進むことを考えました。頭の中にある選択肢はプロジェクトマネージャーになるか、ピープルマネージャーになるか。結果として41歳のタイミングで、エンジニアからプロジェクトマネージャーに転身する事に決めました。

今は45歳ですが、プロジェクトマネージャーとして日々勉強です。エンジニアとして携わったプロジェクトや、プロジェクトマネージャーとして携わったプロジェクトは多数ありますが、どれ一つとして同じプロジェクトは無いですし、絶対の正解はありません。だからこそ、一つ一つのプロジェクトに誠意をもって、逃げずに日々特訓中です。

プロジェクトマネージャーはプロジェクト全体に対しての責任を持つ訳であり、管理を全うする事で、一番大事なのは技術ではないと、当たり前ながら痛感しています。常に全体を見て、冷静な判断が出来る状況を作らないといけないので、ケースバイケースですが、自分で手を動かすべきではないですし、スケジュール、コストから品質まで、全てのクオリティを高めて行かないといけないし、全てにおいて大丈夫だと言える状況でなければなりません。そのためにはお客さまとの合意形成や、関係者への情報共有等、やる事は多数あります。経験豊富なプロジェクトマネージャーなら出来るのかも知れないですが、私自身はまだまだ未熟者だと考えています。でも、40歳を過ぎて、自分の役割をチェンジして、新たな挑戦をさせてもらえる環境には、とても感謝しています。

 

大切な事は「どうありたいか」。私のマインドセットと、キャリアデザイン。

 

自分で言うのも変ですが(笑)、私は真面目な人だと思います。もしかすると日本人の中でも真面目過ぎるかも知れません(笑)。何でも真摯に答えようとするし、感情がすぐ顔に出てしまうタイプの人間です。だから私は嘘をつけないです。嫌なことを頼まれると顔にも出ます(笑)。そんな真面目な人ですから、他の人よりコツコツやっていく事には自信があります。CCIEトリプルホルダーであっても自分は頭がいいなんて全く思っていませんし、自分が優秀だとも思いません。ただ、継続力に関しては、他の人に負けませんし、負けたくないという気持ちが今までのキャリアを築いたのだと考えています。

今のキャリアは、楽をしてたどり着いたわけではありません。当然ながら、多くの苦労や困難を経験してきました。もしかすると他の人よりも困難に遭遇したかも知れません。今でも多くの困難と向き合っています。この年齢になってもボコボコに怒られる事だってあります。でも、その困難から逃げる事だけはしません。なぜならば、困難から逃げても、結局はまた同じ困難がまわってくるからです。それであれば、今ある困難は、今クリアしないといけないのです。だから、お叱りを受けたお客さまには感謝をし、つらい仕事も逃げずに向き合ってきました。

また、自分が考える事は実現するという「引き寄せの法則」は真実だと考えています。今の私は、5年前に自分が描いた自分自身であるし、今ある状況を作るために、5年前から努力をしてきたためであるからです。新卒時の会社で、「5年後の私はどういう姿であり、そのために今年1年何をする?」という事を毎年考え、人事資料として提出していましたが、今でもこの考え方と習慣が非常に役に立っています。今ある現状に納得がいかない場合は、5年前に描いた自分の姿やシナリオがそのように描いていたのです。目標と努力の量が合致すれば、自分が思い描く将来に近づいていくのです。人生の主人公は誰か。それは自分自身なのです。自分がワクワク出来る将来像を追い求めてきた結果が、今の私なのです。

これからも座右の銘である「日々感謝」の気持ちをもって、一緒に仕事をする人たちと成功し、みなで喜びを分かちあえるような将来を追い求め続けます!

 

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